【完全版】学校の雑学22選!元教員が全部教えます

どうも、まっつーです。
学校にいると、ふと「なんでこうなってるんだろう?」と疑問に思うことってありませんか?
たとえば、「なぜ教室の窓は左側にあるの?」「なんで理科室の机は黒いの?」「プールの水が冬でも入っているのはどうして?」など、子どもたちからもよく聞かれる“ちょっと不思議な学校のこと”。
実は、そうした当たり前に見える学校の設備やルールには、ちゃんとした理由や歴史、そして子どもたちの安全や学びを守るための工夫がたくさん詰まっているんです!
今回の記事は、知っておくと役に立つ学校の雑学22選を丸ごと全部ていねいに解説します!

この記事は以下のような人におすすめ!
- 学校にまつわる「なんで?」をスッキリ解決したい
- 子どもからの素朴な質問に、うまく答えられずに困ったことがある
- 会話で盛り上がる“学校ネタ”を増やしたい
- 「物知り!」「すごい…!」と一目置かれたい
この記事を読めば、明日から誰かに話したくなるような“学校の豆知識”がきっと見つかります!
この記事を書いた人↓

- ①なぜ小学生はランドセルを使うのか?
- ②なぜ黒板は緑色なのか?
- ③なぜ教室の窓は左側にあるのか?
- ④なぜ教室の出入り口が2つあるのか?
- ⑤なぜ背もたれがない椅子があるのか?
- ⑥なぜ理科室の机は黒いのか?
- ⑦なぜ理科室のカーテンは黒いのか?
- ⑧なぜ理科室の蛇口にホースがついているのか?
- ⑨なぜ窓に赤い逆三角形が貼られているのか?
- ⑩なぜ非常口マークには2種類あるのか?
- ⑪なぜ非常階段の回り方が同じなのか?
- ⑫なぜチャイムはキンコンカンコンなのか?
- ⑬なぜプールの水が一年中入っているのか?
- ⑭なぜ水泳の授業で水泳帽をかぶるのか?
- ⑮なぜ過去に腰洗い槽があったのか?
- ⑯なぜ過去に目洗い蛇口があったのか?
- ⑰なぜ赤白帽が使われているのか?
- ⑱なぜ黄色い帽子が使われているのか?
- ⑲なぜ黄色いワッペンを付けるのか?
- ⑳なぜ教室の天井は高いのか?
- ㉑なぜ天井に変な模様がついているのか?
- ㉒なぜ校長先生が最初に給食を食べるのか?
- まとめ
①なぜ小学生はランドセルを使うのか?

あちこちで、カラフルなランドセルを背負った小学生たちの姿を見かけますが、「なぜ小学生はみんなランドセルを使うの?」と、ふと疑問に思ったことはありませんか?
実はこのランドセル、ただの通学かばんではありません。
そこには、日本の教育の歴史、平等への願い、安全への工夫、そして100年以上受け継がれてきた文化がぎゅっと詰まっているのです。
ルーツは軍隊!?ランドセルの始まり
ランドセルの原型が日本にやってきたのは、なんと江戸時代の幕末。当時、幕府は西洋式の軍隊制度を取り入れ始めていました。
兵士たちが使っていたのは、オランダから輸入された背負い袋(バックパック)。
オランダ語でこれを「ランセル(ransel)」と呼んでいたのですが、日本ではそれがなまって「ランドセル」という言葉になったとされています。
この軍用の背のうは、丈夫で両手が空くという便利な特徴がありました。
明治時代になると、ランドセルの形は通学用にも使えるように工夫されていきます。
「平等な教育」を目指した、学習院の決断
ランドセルが学校の通学かばんとして使われ始めた最初のきっかけは、明治時代に開校した学習院初等科にあります。
当時、学習院に通う子どもたちの中には、馬車や人力車で登校したり、使用人に荷物を運ばせたりする子も多く、家庭の経済格差がそのまま学校にも持ち込まれていました。
そこで学習院が大切にしたのは、「学校ではみんな平等であるべきだ」という教育の理念です。
明治18年、学校は「子どもが自分で荷物を運び、自分で登校すること」をルールとし、家庭の事情に左右されない、平等な学校生活を目指したのです。
このときに採用されたのが、軍隊で使われていた背負い袋、つまりランドセルでした。
背中に背負って両手が自由に使える、安全で機能的なカバンとして、ランドセルは通学スタイルにぴったりだったのです。
天皇のご入学が広まるきっかけに
このランドセルを一躍有名にしたのが、明治20年(1887年)、当時皇太子だった大正天皇が学習院に入学されたときのことです。
初代内閣総理大臣・伊藤博文が、お祝いとして箱型の通学かばんを贈りました。
これが、現在のランドセルに近い「しっかりとした箱型」の始まりだとされています。
その後、明治23年には素材が黒い革製に統一され、明治30年には形や大きさも細かく決められました。
こうして完成したのが「学習院型ランドセル」は、100年以上経った今でも、基本的なデザインをほとんど変えずに受け継がれているのです。
戦後、そして全国へ
戦前のランドセルは、高級品でした。革製で丈夫な分、値段も高く、地方や一般家庭ではなかなか手が出ませんでした。
そのため、風呂敷や布製のバッグ、ショルダーバッグなどが通学かばんとしてよく使われていました。
しかし、昭和30年代の高度経済成長期になると、日本の暮らしが少しずつ豊かになり、ランドセルが全国の小学校で広く使われるようになっていきます。
素材も革だけでなく、合成皮革や軽量素材が登場し、より安く、より丈夫で、より軽くなったことで、ランドセルは一般家庭にも普及していったのです。
最近では、赤やピンク、水色やラベンダーなど、さまざまな色やデザインのランドセルが登場し、子どもたちの好みに合わせた選び方もできるようになりました。
反射材がついていたり、負担が少ない肩ベルトの構造になっていたりと、安全性や使いやすさにも改良が加えられています。
ランドセルって法的な義務なの?

「ランドセルって、法律で決まっているの?」「リュックじゃダメなの?」という疑問を、保護者の方からたまに受けることがあります。
結論…ランドセルの使用は法律では義務づけられていません。
文部科学省も、都道府県や市区町村の教育委員会も、各小学校も、「通学カバンは必ずランドセルでなければならない」と決めているわけではありません。
つまり、ランドセルは“選択肢のひとつ”であり、絶対条件ではないのです。
ところが、ほとんどの小学生がランドセルを使って登校しています。
なぜなら、「小学生といえばランドセル」という空気や文化が根づいていて、ランドセルを使うことが当然と感じられているからです。
そのため、結果的にほとんどの家庭がランドセルを選ぶことになるのです。
②なぜ黒板は緑色なのか?

「毎日見ている黒板、あれってどうして“黒”じゃなくて“緑色”なの?」という小学生の素朴な疑問に、どれだけの大人が答えられるでしょうか?
学校の教室にあるあの黒板。見慣れているけれど、よく見ると色は“黒”ではなく緑色です。
それなのに名前は「黒板」です。どうしてでしょうか?
実はその理由には、日本の教育の歴史と、子どもの学びを守ろうとする大人たちの工夫が詰まっているのです。
黒板のはじまりは「黒かった」
黒板が日本にやってきたのは、日本の近代教育制度が始まった明治5年(1872年)のことです。
当時の東京大学の前身である「大学南校」に招かれたアメリカ人教師・スコット氏が、黒板をアメリカから持ち込みました。
これが、日本の黒板のはじまりでした。
当時は、石盤あるいは木の板に黒い塗装をした、本当に「黒い板」でした。
そして、アメリカで「black board(黒い板)」と呼ばれていたのを、そのまま直訳して“黒板”と呼ぶようになったのです。
だから「黒板」は最初、本当に“黒かった”のです。
なぜ黒から緑になったのか?
黒板の色が変わり始めたのは、昭和のはじめごろです。
特に、戦後の教室環境が大きく変化した時期に、緑色の黒板が急速に普及していきました。理由は大きく3つあります。
- 視認性が高く、チョークの文字が見やすいから
- 目が疲れにくく、集中力が続くから
- 光の反射をおさえて、どの席からも見やすいから
視認性が高く、チョークの文字が見やすいから
白や黄色のチョークで書いた文字が、黒色よりも緑色の方がはっきり見えることが分かってきました。
これは視覚的な実験でも確認されていて、子どもたちが文字をくっきり読み取りやすくなるのです。
とくに教室の明るさや自然光の入り方によっては、黒だとチョークが見えにくくなることもありました。
目が疲れにくく、集中力が続くから
緑色は、人間の目にとって疲れにくく、リラックスしやすい色です。
子どもたちは一日に何時間も黒板を見て授業を受けます。そんな中で、少しでも視覚の負担を軽くするために、黒から緑への変更が進んでいきました。
実際に、昭和30年代から40年代にかけての「ベビーブーム」時代には、1クラスに50〜60人以上の子どもが詰め込まれていたこともあり、教室の環境を少しでも快適にするために、緑の黒板が好まれたのです。
光の反射をおさえて、どの席からも見やすいから
黒い黒板は、光が当たると反射してテカってしまうことがありました。
特に、教室の前列や窓際の席では、黒板が光って文字が読めなくなることもあります。
その点、緑色は光の反射をおさえる効果があります。
これによって、どの席からでも黒板が見やすくなり、授業への集中が高まるのです。
なぜ「黒板」という名前のままなのか?
ここまで読んで、「じゃあ今は緑色なんだから、“緑板”って呼べばいいのでは?」と思った方もいるかもしれません。
現在多くの教室で使われている黒板は、実際には“緑色”です。にもかかわらず、私たちは今も当たり前のように「黒板」と呼び続けています。
それは、“黒板”という名前が、日本の学校教育の中に長い年月をかけて深く根付いてきた文化的な呼び名だからです。
明治時代にアメリカから「ブラックボード」が導入され、それが直訳されて「黒板」となったときから、すでに教育現場ではこの呼び名が定着し、日常語として使われてきました。
たとえるなら、今でも私たちはスマートフォンのことを「電話」と呼んだり、電子レンジのことを「チンする」と言ったりするのと似ています。
本来の意味から少し変わっていても、言葉だけがそのまま残り、文化として引き継がれているのです。
技術の進化とともに生まれた緑の黒板
黒から緑への変化は、塗料の開発とも深く関係しています。
かつて黒板には、天然の「漆」や「松煙(しょうえん)」といった黒い素材が使われていました。
しかし、これらは発色の調整が難しく、緑色を均一に出すのは困難でした。
昭和30年代以降、合成樹脂塗料の技術が進化したことにより、緑色の塗料が安定して作れるようになり、学校でも一気に普及しました。
また、時代が進むにつれて、スチール製やホーロー製、マグネットが使えるタイプなど、耐久性・視認性・メンテナンス性を考えたさまざまな素材の黒板が登場しています。

現在、学校によっては、子どもの身長や学年に合わせて高さを調節できる黒板や、文字や図形をまっすぐ書きやすくするために、あらかじめ薄いガイドラインが入った黒板を導入しているところもあります。

最近では、プロジェクターの映像や画像を映し出せる投影対応の黒板や、ディスプレイそのものが黒板として使える電子黒板を導入している学校もあるよね。
③なぜ教室の窓は左側にあるのか?
教室に入ったとき、「どうして窓はいつも左側にあるんだろう?」と不思議に思ったことはありませんか?
よく見てみると、どの教室も、そしてどの学校でも、黒板を正面にしたときに窓は左側に設置されています。
これはたまたまそうなっているわけではなく、きちんとした理由があるのです。
窓が「左側」にある理由

「黒板に向かって座ると、左に窓、右に廊下」という教室の配置の起源は、明治時代にさかのぼります。
1895年(明治28年)、文部省が発行した「学校建築図説明及設計大要」という文書の中で、教室の設計に関する具体的な指針が示されました。
- 教室は長方形とする
- 窓は南または東南・西南を向ける
- 外からの自然光が、子どもたちの「左側」から入るように設計する
では、なぜ左側から光を入れる必要があったのでしょうか?
答え…日本人の多くが右利きだから
右利きの子が右側から光を受けると、自分の手でノートや教科書に影をつくってしまい、手元が暗くて書きにくくなるのです。
当時の教室には、今のような明るい照明はなく、自然光が唯一の明かり。だからこそ、子どもが文字を書きやすく、読みやすい環境をつくることが最優先だったのです。
そしてもうひとつの理由が、「南向きの窓」です。南側は一年を通して太陽の光が入りやすく、特に冬でも明るい光が差し込むため、安定した採光が期待できるのです。
このように、窓の位置には視覚の負担を減らし、集中力を高めるための深い配慮があるのです。
図工室や美術室だけ窓の向きが違う?

例外もあります。それが図工室や美術室です。図工室や美術室の窓は、多くの場合「北側」に設置されています。
それはなぜかというと、図工や美術の授業では影の向きが変わらない安定した光が必要だからです。
南向きの窓からは直射日光が入り、時間帯によって光の角度や強さが変わってしまいます。
これでは、デッサンなどで使うモデルの影の形が刻々と変わってしまい、正確に描くことが難しくなってしまうのです。
その点、北側の窓から入る光は柔らかく、影の変化も少ないため、作品制作に集中できる環境が整いやすいのです。

学校によっては、図工室や美術室を校舎の北側に配置することで、自然と北向きの窓が確保されるように設計されている場合もあります。
④なぜ教室の出入り口が2つあるのか?

教室の出入り口は、一般的に「前方(教壇近く)」と「後方(教室の後ろ側)」の2か所に設けられていることが多いです。
この構造には、2つの理由があります。
非常時の避難経路としての配慮
災害が起きたとき、出入り口が1つしかないと、避難が集中してしまい混雑やパニックが起こりやすくなります。
また、その1つのドアが煙や火、がれきなどでふさがれてしまった場合や、地震によってドアがゆがんで開かなくなったりした場合は、逃げ道がなくなるというリスクも考えられます。
そこで、教室に2つのドアを設けることで、前方・後方どちらからでも安全に避難できる経路を確保することができ、命を守るための重要な安全設計になっているのです。
動線の分離で教室運営がスムーズになる
教室前方の出入り口は、先生が出入りしたり、教材を運び入れたりするときに便利な位置にあります。
一方、後方の出入り口は、子どもがトイレや保健室へ行くときに、授業の妨げにならずに静かに出入りできるように工夫されています。
このように、出入り口を2か所に設けることで、「先生や授業のための動線」と「子どもたちの生活の動線」を分けることができるのです。
また、出入り口が2か所あることで、一方を「入口」、もう一方を「出口」として使い分けることができ、教室内の人の流れを一方向に整えることができます。
⑤なぜ背もたれがない椅子があるのか?

学校での教室を見渡していて、「あれ?理科室や図工室の椅子って、なんで背もたれがないんだろう…?」と感じたことはありませんか?
実はこの“背もたれのない椅子”、「角椅子(かくいす)」という名前があります。
子どもたちから「昔の古い椅子にには背もたれが無いんだよ」「壊れてるだけなんじゃ…?」なんて声を聞くこともありますが、決してそうではありません。
理科室・図工室(美術室)・家庭科室という3つの特別教室では、それぞれの活動の特性や安全面への配慮から、あえて背もたれのない角椅子が選ばれているんです。
理科室の角椅子:逃げやすさが命を守る
理科室では、火や薬品、ガラス製品など、子どもたちにとって潜在的に危険な教材や器具を使う機会が多くあります。
たとえば、実験用ガスコンロの使用、化学反応の観察など、ちょっとした油断が大きな事故につながりかねません。
そんなとき、背もたれがある椅子では、服が引っかかったり、すぐに立ち上がれなかったりして、避難に遅れが出る恐れがあります。
しかし、背もたれのない角椅子であれば、すぐに後ろへ引いて立ち上がり、教室外への避難行動がとりやすくなります。
また、理科の実験中は「立って作業、座って記録」が基本です。
実験台の周囲を移動したり、実験道具を運んだりすることも多いため、椅子は机の下に完全に収めておく必要があります。
背もたれのある椅子ではこの収納が難しく、動線をふさいでしまうこともあります。
理科室で角椅子が使用されているのは、子どもたちの安全と教育活動の円滑な実施を第一に考えた結果なのです。
図工室の角椅子:作業台としても使える多用途性
図工室(美術室)で角椅子が使われる理由は、理科室とは少し異なります。
図工や美術の活動では、ノコギリ・金槌・ドリルなどの道具を使って作品を制作する場面もあります。
角椅子は、背もたれがないことで安定して座れるだけでなく、横に倒して「当て板」として使うこともできます。
これは、木材に穴を開けたり切断したりする際の作業台として活用される重要な工夫です。背もたれがある椅子では、このような使い方ができません。
一つの椅子に「座る」「作業する」「支える」という複数の機能を持たせているのが角椅子の魅力でもあります。
また、絵の具や粘土、はさみや糸などを使う制作活動では、体を自由に動かせることが大切です。
背もたれがあると、かえって動作を妨げることがあります。角椅子なら、どの方向にも身体を回しやすく、創作に集中できる環境が整うのです。
家庭科室の角椅子:安全と動きやすさ
家庭科室もまた、火や刃物を扱う危険性のある教室です。
ガスコンロでの調理、包丁や皮むき器の使用、熱湯や油の取り扱いなど、事故リスクは意外と高いものです。
そんな中で背もたれがある椅子を使うと、緊急時にすばやく立ち上がることが難しくなるだけでなく、椅子の背に衣服が引っかかることで転倒などの事故につながる可能性もあります。
さらに、家庭科では「動く」「立つ」「座る」を繰り返す授業展開が一般的です。
調理の手順を確認したり、グループで配膳を行ったり、後片付けをしたりと、活動はめまぐるしく変化します。
背もたれのない角椅子であれば、必要なときにさっと移動でき、周囲のスペースも広く使えるのです。
⑥なぜ理科室の机は黒いのか?

理科室の机の表面、つまり「天板」は、多くの学校で黒くなっています。
これは見た目のデザインではなく、「実験で使う薬品を見えやすくするため」の工夫なのです。
理科では、白い粉末や透明な液体を使うことがよくあります。
たとえば、食塩や砂糖のような白い結晶、無色透明の水やエタノール、塩酸などです。
もしこれらを机にこぼしてしまったら、白い机では気づきにくく、思わぬ事故につながる可能性があります。
でも、黒い天板であれば、白い粉や透明な液体がすぐに目立つため、発見しやすく、安全に対応できます。
また、理科室の机は耐薬品性や耐熱性にも優れており、アルコールランプや薬品を扱う際にも丈夫な素材が使われています。
まさに「実験のための特別な机」なのです。

白色やグレーの実験台も登場していますが、見やすさ・安全性を重視する学校では、今もなお黒色の天板が支持されています。
⑦なぜ理科室のカーテンは黒いのか?

教室のカーテンは白色や薄いオレンジ色、薄い緑色などさわかやかな印象のカラーですが、理科室には真っ黒なカーテンがあります。
これは“遮光カーテン”といって、99.8%以上の光を遮る特殊なカーテンなのです。
その理由のひとつは、顕微鏡の観察です。
顕微鏡でプレパラートを観察する際には、反射鏡を使って光を調節する必要があります。
ところが、部屋に直射日光が差し込んでいると、鏡が反射して強すぎる光が目に入り、観察がしにくくなったり、目を傷めてしまう危険もあるのです。
また、理科では光の屈折・反射の実験や、天体観察など光をコントロールする必要がある場面が多くあります。
光を完全に遮ることで、実験の精度が格段に高まるのです。
さらに、火を使う実験も多いため、防炎機能のある安全なカーテンが使われていることも見逃せません。
⑧なぜ理科室の蛇口にホースがついているのか?

理科室の水道を見ると、蛇口が高い位置についていて、そこに細くて透明なホースがついていることが多いです。

透明なホースが使われているのは、中を流れる水が目で見て確認できるからだよ。
実は、この透明なホースには理科の学習と安全の両方を支える、とても大切な役割が3つあるのです。
水が飛び散らないようにするため
理科では、ビーカー・試験管・メスシリンダーなど、たくさんのガラス器具やプラスチック容器を使います。
その器具を授業の最後に洗うとき、蛇口が高いと水が勢いよくシンクに跳ね返り、周りがびしょびしょになってしまうことがあります。
特に器具の口が小さいと、水の流れが一部だけに集中してしまい、水が外にはねたり、服が濡れたり、水溶液がこぼれたりと、予期せぬトラブルが起こります。
そこで活躍するのが、ホースの先から水を出す方法です。
ホースの先端を器具に近づけてゆっくり水を出せば、水流をコントロールしながら安全に洗うことができます。

ホースの長さを20cm程度にすることで、水はねを防ぐことができます。
すぐに洗い流すことができるため
理科の実験では、水だけでなくうすい塩酸やアンモニア水など、薬品を使うこともあります。
万が一、それらが子どもの手や腕に触れてしまった場合、すぐに水で洗い流すことが大切が、普通の蛇口ではうまく洗いにくかったり、器具が邪魔で水が届かなかったりしますよ。
その点、ホースがあれば、水を直接、自由な角度からかけることができるので、すばやい対応が可能です。
こぼさず注ぎやすくなるため
理科の実験では、容器の口が小さかったり、形が複雑だったりする器具に水を注ぐことがあります。
例えば、試験管のような細長い器具に水を入れるのは、そのままの蛇口ではなかなか難しいものです。
しかし、ホースを使えば、水の向きを自由に変えられるので、曲がった容器の奥や、細い管の中にも、ピンポイントで水を入れることができます。
特に、4年生の「温度と体積」や6年生の「水溶液の性質」などの実験では、水を“正確に入れる”ことが学習のポイントになるため、このホースの存在はとても重要です。
⑨なぜ窓に赤い逆三角形が貼られているのか?

校舎の窓に貼られている赤色の逆三角形のシールを見たことはありますか?
このマークの正式名称は、「消防隊進入口マーク」と言います。
このマークは、火事などの緊急事態が発生したときに、はしご車などを使って消防隊が建物の中にすばやく入るための目印です。
消防隊員がこのマークのついた窓を破って進入することで、校舎などの建物の中にいる人を救助します。
マークがついている窓は、ほかの窓と少し違いがあります。
という特徴があるのです。
また、マークの形や色も明確に定められています。
このように、見た目だけでなく安全性と機能性が詰まったマークなのです。
消防隊進入口には2つのタイプがある
このマークが貼られる「消防隊進入口」には、実は2つのタイプがあります。それが「非常用進入口」と「代替進入口」です。
まず「非常用進入口」は、バルコニー(ベランダ)付きのタイプになります。
ここには赤いマークの他に、赤い点滅灯(赤色灯)も設置され、消防隊が夜でも見つけやすいようになっています。
このタイプは、ある程度の広さや深さのあるバルコニーが必要なので、大きめのマンションや施設でよく使われています。
一方、「代替進入口」は、バルコニーがなくてもOKなタイプです。
大きな窓さえあれば進入口として認められるようになっています。具体的には、高さが1.2メートル以上・幅が75センチメートル以上の窓が、幅4メートル以上の道や通路に面していればよいとされています。
つまり、多くの学校やビル、店舗の窓にこのマークが貼ってあるのは、この代替進入口タイプなのです。
消防隊進入口マークが貼られている場所

このマークは、ただ貼られているのではありません。法律で決められた条件を満たす場所に貼られています。
これらのルールを守ることで、万が一火災が起きたときにも、消防隊が迷わず、すばやく建物に進入できるようになります。
つまりこのマークは、人の命を守るための“入口のしるし”なのです。

災害時には、消防隊員が「消防隊進入口マーク」が貼られている窓から建物内に進入することがあります。そのため、この窓の周りには、植木鉢や棚などの物を置かず、いつでも安全に出入りできるようにしておきましょう。
⑩なぜ非常口マークには2種類あるのか?

学校などの建物でよく見かける「非常口マーク」は、緑色の背景に、人が出口に向かって走っているようなイラストが描かれています。
実はこの非常口マークには2種類のデザインがあることをご存知でしょうか?
まず1つ目は、白い背景に緑色で人や矢印が描かれているタイプです。
これは「通路誘導灯」とも呼ばれ、非常口へ向かう道のりを示すサインです。このマークをたどっていけば、迷わず安全に非常口へ到達できるように設置されています。
2つ目は、緑色の背景に白い人や矢印が描かれているタイプです。
こちらは「避難口誘導灯」と言われ、まさに“ここが非常口です”という場所そのものを示すサインになっています。
- 白地の非常口マーク…道しるべ
- 緑地の非常口マーク…ゴール地点
校舎内を見回してみると、この2種類が連携して配置されていることに気づくはずです。
どちらも、緊急時に子どもたちが安全に避難できるように設計されている大切なサインなのです。
なぜ非常口マークは「緑色」なの?
「非常時に目立たせるなら、緑よりも赤や黄色のほうが良いのでは?」と疑問に思ったことはあるかもしれません。
しかし、非常口マークが緑色であるのには、きちんとした理由があるのです。
その理由は、火災時の視認性にあります。火事のとき、炎の色は赤やオレンジ、煙の中でも赤は目立ちません。
それに対して緑は、赤の補色(反対の色)にあたるため、視界が悪い中でももっとも目立ちやすい色として選ばれているのです。
さらに、緑には「安心」「安全」「進め」といった心理的なイメージもあります。信号機の青(実際には緑)と同じように、避難時に「こちらに進もう」と直感的に理解できる色でもあるのです。
このマークを考案したのは、グラフィックデザイナーの太田幸夫さんらによるもので、現在ではISO(国際標準化機構)に採用され、世界中で使われている世界基準のデザインになっています。
非常口マークの「向き」と「形」
非常口マークには左右どちら向きでもOKというルールがあります。実は、国際規格で「左向き」も「右向き」も正式なマークとして認められているのです。
ただ、避難するべき方向に合わせて、非常口マークの「ピクトグラム(走っている人)」の向きを変えることができます。
たとえば、廊下の突き当たりで右へ曲がるなら右向き、左へ曲がるなら左向きが使われます。
どちらも正解なので、子どもたちにも「走っている方向についていけばいいよ」と教えるのがポイントです。
また、非常口マークには、長方形と正方形の2種類があります。

長方形の非常口マーク…蛍光灯を使っている昔のタイプ
正方形の非常口マーク…LEDライトを使っている現代のタイプ
LEDの特徴は、明るさが強く、寿命が長く、省エネであることです。そのため、校舎などの建物の改修や新築時には、LEDの正方形タイプに置き換えられていることが多くなっています。
形の違いがあっても、どちらも命を守る非常口マークであることに変わりはありません。
⑪なぜ非常階段の回り方が同じなのか?

学校やビルに設置されている「非常階段」は、火災や地震などの緊急時に避難するためのとても大切な階段です。
非常階段をよく見ると、ぐるぐると右に回って上っていく(右回り)構造になっていることが多いこと気づくと思います。
「非常階段って、登るためのもの?」と思った方、実はそれは逆なんです。非常階段の主な目的は“下りる”こと。つまり、緊急時に避難するために下る階段なのです。
そして、右回りに上がる階段は、下りるときには左回りになるのです。これは、ある理由で意図的に設計されています。
※右回り…時計回り、左回り…反時計回り
なぜ「左回り」がなのか?
人間は、なぜか無意識のうちに「左側に曲がる」「左の道を選ぶ」という行動を取りやすいと言われています。これを「左回りの法則」と呼ぶことがあります。
この左回りの法則には、いくつかの説が考えられています。
さらに、心理学の研究では「左回り=安心・安定」「右回り=不安・緊張」という感覚があることもわかっています。
このような人間の自然な感覚に基づいて、非常階段は左回りで下りられるように設計されているのです。
右回りが使われる場合も
左回りが「安心」を感じやすいのに対して、右回りは「緊張感」や「違和感」を感じやすいという心理を利用しているのが、遊園地のアトラクションです。
ジェットコースターは、ぐるぐると右回りや右旋回するように設計されていることが多いです。これは、人が無意識に不安やスリルを感じる方向だからです。
一方で、メリーゴーランドのような子どもが楽しむ遊具は、左回りで回っていることが多く、これにより安心感や安定感が得られるようになっているのです。
つまり、「ぐるぐると回る向き」には、人の心の動きがしっかり反映されているということです。
⑫なぜチャイムはキンコンカンコンなのか?
学校に響く「♪キーン コーン カーン コーン♪」というチャイムの音を聞くと、「さあ、授業が始まるぞ!」と気持ちを切り替えたり、「やっと休み時間だ〜」とホッとしたりすることがあります。
でも、この学校のチャイムは「いつから使われるようになったのか?」「どうして全国どこの学校でも、同じようなメロディーが使われているのか?」と疑問に思ったことはありませんか?
実は、このおなじみの学校チャイムには、長い歴史だけでなく、子どもたちの成長を支えるための教育的なねらいも込められているのです。
学校チャイムのルーツはロンドンの鐘の音

「♪キーン コーン カーン コーン♪」でおなじみの音は、日本のほとんどの学校で、授業の始まりや終わりを知らせるこのチャイムです。
実はこの音、ロンドンにある世界的な時計台「ビッグベン」の鐘の音が由来になっているのです。
このチャイムの正式名称は、ウエストミンスターの鐘と言います。
ロンドンのテムズ川沿いにある「ウエストミンスター宮殿(英国国会議事堂)」に設置された巨大な時計塔ビッグベン(現在の正式名:エリザベスタワー)で鳴り響いている鐘の音から生まれたメロディーです。
鐘の音を構成する4つの音階を組み合わせたこの旋律は、もともと1927年にイギリスで作曲されたもので、ウエストミンスター寺院の礼拝堂で使われる「鐘の合図」として採用されたものでした。
日本で最初にビッグベンの鐘の音を採用した学校
では、どうしてイギリスの鐘の音が、日本の学校で使われるようになったのでしょうか?
そのきっかけをつくったのが、1950年代の東京にある中学校の先生でした。
第二次世界大戦が終わった直後の日本の学校では、「ジリリリリ…」とけたたましく鳴るベルが使われていました。
しかしその音は、空襲警報などを思い出させる戦時中の音でもあり、子どもたちにとっては怖さや緊張を連想させるものでした。
「せっかく平和な時代になったのだから、もっと心地よく、子どもたちが前向きな気持ちになれるような音に変えたい」と考えたのが、東京都大田区にある大森第四中学校の国語教師・井上尚美(いのうえしょうび)先生でした。
彼は知人である技術者加藤一雄さんに相談し、当時すでにオルゴールなどで知られていたウエストミンスターの鐘のメロディーをもとに、学校用のチャイムとして開発を依頼しました。
こうして完成した新しいチャイムは、1956年(昭和31年)に大森第四中学校で初めて正式に導入され、その心地よい音色が子どもたちにも先生たちにも受け入れられました。
大森第四中学校のホームページには、次のように記載されています。
本校は、昭和31年に全国で初めて始業と終業を知らせるチャイムを取り入れました。それまでのカネを鳴らしながら廊下を歩いて回る方法から、時計と連動して設定した時間になるとウエストミンスターの鐘の音を模したあの聞きなれたチャイムが流れる方法の発祥の地が本校なのです。現在も、本校には当時の装置が残っています。(今は使用はしていませんが、手動でチャイムの音を聞くことができます。)
そして、日本全国の小学校・中学校・高校へと一気に広がっていきました。
昔の学校にはチャイムがなかった?

現在の学校では、「チャイムが鳴ったら席に着く」「チャイムが鳴ったら授業が終わる」という生活が当たり前ですが、実は明治時代の学校にはチャイムそのものが存在していなかったのです。
その時間を知らせるため、チャイムの代わりに使われていたのが「報時鼓(ほうじこ)」という太鼓です。
1871年(明治4年)には京都府が各学校に報時鼓を設置し、校舎の高い位置(望火楼など)から太鼓を鳴らして、校内や地域に時を知らせるようにしていました。
また、木の板を叩く方法や手動ベル(振鈴:しんれい)、西洋式の金属ベルなどが用いられていました。
管理用務員さんがベルを鳴らし、授業の区切りなどを木の板を木づちで歩きながら叩いて合図することが多かったようです。
そして1923年(大正12年)、京都の開智小学校では、卒業生の寄贈によって京都で初めて自動電気時報装置(いわゆる電鈴)が導入されました。
これにより、管理用務員さんが毎回手で音を鳴らす必要がなくなり、「機械で時間を知らせる時代」が始まったのです。
学校にチャイムが導入された意味

学校にチャイムは、授業の始まりや終わりを知らせる「時間の合図」というだけではありません。
「時間を守る」「行動を合わせる」「集団の中で規律を持つ」といった、社会の中で生きるために必要な力を、子どもたちに自然に身につけさせるための教育的な仕組みでもあるのです。
江戸時代の寺子屋では、子どもたちは自分の都合に合わせて来て、自分のペースで手習いをしていました。
ところが、明治時代に入り、みんなが同じ時間に集まって、同じ内容の授業を受けるという近代的な学校制度が導入されると、「時間を共有する」ことが重要になっていきました。
その中で、チャイムは学校の“時間の区切り”をつくり、子どもたちに「今は集中する時間」「今は休む時間」といった切り替えを自然に促してきました。
つまり、チャイムとは「ただの音」ではなく、「子どもたちの学校生活リズムを整えるための音」なのです。
ノーチャイム制への変化!?
「ノーチャイム制」とは、授業の始まりや終わりを知らせるチャイムを鳴らさない学校のしくみのことです。
全国の学校で少しずつ広がっており、子どもたちが自分で時計を見て行動する力を育てることをねらいとしています。
先生たちは「自分で考えて動く力」を身につけてほしいと願い、時間の使い方や行動の意味について子どもたちに問いかけながら指導しています。
チャイムがないことで、授業中の集中が途切れにくくなったり、「そろそろ授業が始まる時間だね」と子どもたち同士で声をかけ合ったりするなど、良い変化も出ています。
ただし、時間の感覚に不安がある子には、やさしい声かけやサポートが必要になることもあるため、学校ごとの工夫が大切です。
⑬なぜプールの水が一年中入っているのか?

学校のプールは、水泳の授業が実施されている6月末から9月上旬の夏の時期にしか使いません。しかし、それ以外の季節でも、なぜか水が張られたままになっています。
「どうして? 使わないなら水を抜いておけば、掃除も楽になるし、ボールが入ったりして困ることもないのに…」と思ったことがある方も多いでしょう。
実際、プールをそのままにしておくと、秋や冬には藻やコケが生えて水が緑色になり、底が見えなくなることさえあります。
悪臭が漂うこともあり、見た目も衛生的にも「とても使えそうにないな」と感じてしまいます。
それでも、学校はあえて水を張ったままにしている理由は何でしょうか?
学校のプールの水は消防のため
実は、学校のプールは火災時の「消防用水」として使えるようにするための防火水槽という役割を担っているのです。
このことは、国の「消防法」にも定められていて、学校の判断で勝手に水を抜くことはできません。
水を抜くときには、かならず消防署に「今から水を抜きます」と連絡をしなければなりません。掃除が終わって再び水を満タンにしたら、「水を入れ終わりました」とまた消防署に連絡します。

これは、いざという時に「プールに水があると思ったのに、空っぽだった!」という事態を防ぐために、連絡をする必要があるんだよ。
火事が起きたとき、消防車が使う水が近くにないと、消火活動が遅れてしまい、被害が大きくなってしまいます。
そのため、地域には「消防水利(しょうぼうすいり)」という仕組みがあり、あらかじめ水を確保しておく設備を整えておく必要があるのです。
この「消防水利」にはさまざまな種類があります。
つまり、学校のプールは地域の命を守るための貴重な水源なのです。
水を抜くとプールが傷んでしまう!?
プールの水をシーズンオフに抜かずに入れておくのには、もうひとつ大きな理由があります。
それは、水が入っていることでプールの劣化を防ぐことができるという点です。
コンクリートやタイルでできたプールの壁面や底面は、水があることで紫外線や雨風のダメージから守られているのです。
逆に水を抜いてしまうと、太陽の光や風雨が直接当たってしまい、ひび割れや劣化が早まり、修繕に多額の費用がかかる原因となります。
プールのような大きな施設は、一度壊れてしまうと簡単には直せません。ですから、水を抜くことは、学校のプールを長く大切に使ううえでも、できるだけ避けたいことなのです。
⑭なぜ水泳の授業で水泳帽をかぶるのか?

学校のプールの授業で「水泳帽」をかぶるのは、いまや当たり前のルールとなっています。
けれど、よく考えると「なんで帽子が必要なの?」「帽子がないと泳げないの?」と思うかもしれません。
水泳帽には、3つの大切な役割があります。
安全を守るため
水泳帽の役割として、重要なのが子どもたちの安全を守ることです。
学校のプールの授業では、先生たちが同時に多くの子どもたちの動きを見守る必要があります。
水の中では顔が見えにくく、誰がどこにいるのか判別しづらくなることも少なくありません。そんなときに役立つのが、カラフルで目立つ水泳帽です。
赤・黄・青などのはっきりとした色の水泳帽は、水中でもとてもよく見えます。
これは、事故やトラブルを未然に防ぐ“見える化”の工夫として、とても有効です。
とくに泳ぎが苦手な子や不安を感じている子どもをすぐに見つけてサポートできるという点で、先生にとっても大きな安心材料になります。
また、帽子をかぶることで、髪が顔にかかって視界をさえぎるのを防いだり、水の中での動きを妨げないようにしたりするという実用的な効果もあります。
清潔を保ち、髪を守るため
水泳帽の役割の2つ目は、衛生面の改善です。
子どもたちがそのまま髪の毛を出してプールに入ってしまうと、髪の毛が水に浮いて広がったり、落ちた毛がフィルターに詰まったり、プールの水がどんどん汚れてしまいます。
また、髪の長い子は顔に髪がかかって泳ぎにくくなったり、髪に含まれる整髪料の成分が水質に悪影響を及ぼすこともあります。
水泳帽をかぶることで、髪が水の中で広がるのを防ぎ、毛が抜けるのを減らし、プールの水を清潔に保つことができるのです。
また、塩素を含んだ水は髪や頭皮にダメージを与えることもありますが、水泳帽はそうした刺激から髪を守る役割も果たしてくれます。
つまり、水泳帽はプールの衛生と髪の健康を守る、どちらにも優れたアイテムなんです。
教育的に便利なため
学校のプールでは、水泳帽に色分けがされていることがあります。
といったように、泳力や学年ごとに色を分けることで、先生が一目で子どもの状況を把握しやすくなります。
これによって、先生は「誰がどこでどんな練習をしているのか?」を瞬時に判断でき、それぞれに合った指導を行いやすくなるのです。

水泳の級に関しては、水泳帽に級が書かれたマジックテープを貼ったり、カラフルなゴムを付けたりするなど、学校によって工夫されているね。
水泳帽が誕生した歴史
水泳帽には、実はちょっとユニークな誕生のエピソードがあります。
日本で最初に学校用の水泳帽を作ったのは、東京都墨田区に本社を置く「フットマーク株式会社」という会社です。
この会社、もともとは布製のおむつを包む“おむつカバー”を作っていたんです。
ところが、夏になるとおむつカバーが売れなくなってしまうため、この売り上げの落ち込みをなんとかしたいと考えたフットマーク社が目をつけたのが、当時の「海水帽」でした。
これは海水浴で女の子が髪を守るためにかぶっていた帽子で、カラフルなデザインが特徴的でした。
この「海水帽」をヒントに、会社はおむつカバーと同じ素材を使って学校向けの水泳帽を開発したのです。
特に赤や黄色などの“目立つ色”が学校の先生から高く評価され、徐々に全国の学校に広がっていきました。
つまり、水泳帽はもともと赤ちゃんのためのおむつ用品が、子どもたちの安全を守る帽子へと姿を変えたものだったのです。
⑮なぜ過去に腰洗い槽があったのか?

「腰洗い槽」という言葉を聞くと、「あの冷たい水に入るのが嫌だったなぁ…」という思い出がよみがえる大人の方も多いのではないでしょうか。
子どもたちから見れば、「腰洗い槽って何?」「あの使われていない小さなプールって何なの?」と疑問に感じるでしょう。
腰洗い槽とは、学校のプールサイドに設置されていた浅い水槽で、プールに入る前に腰まで浸かって体を消毒するための設備のことです。
この腰洗い槽には、プール本体よりもはるかに濃い塩素の水が入っていて、足元やおしりなど、プールの水に直接触れる部分を殺菌することが目的です。
腰洗い槽には、歴史的にも衛生的にも深い理由がありました。
腰洗い槽が登場した理由とその背景
腰洗い槽が全国の学校に設置されるようになったきっかけは、1957年、岐阜県大垣市で発生した“プール熱”の大流行にさかのぼります。
このプール熱の正体は、アデノウイルスというウイルスによる感染症で、咽頭炎や結膜炎などの症状を引き起こします。感染が一気に広がったことで、学校現場では深刻な衛生課題となりました。
この事態を受けて、岐阜県薬科大学の研究チームが、高濃度の塩素水に浸かることで感染を防ぐ方法として腰洗い槽を提案します。
大垣市のプールで実験的に導入され、一定の効果が確認されたことで、1964年には塩素濃度50〜100mg/Lという明確な基準とともに、全国の学校に普及していきました。
当時のプールは現在のように浄化設備が整っておらず、きれいな水に循環・浄化することができませんでした。
また、一度に大勢の子どもたちが利用するため、シャワーで全身を洗う時間が十分にとれないという事情もあり、手早く消毒ができる腰洗い槽を使用することは合理的な判断だったのです。
腰洗い槽の使い方とその問題点
腰洗い槽には、プールの水よりも約50~250倍も濃い塩素水が使われていました。
例えば、通常のプールの塩素濃度が0.4〜1.0mg/Lに対し、腰洗い槽は50〜100mg/Lと非常に高濃度。水道水よりも圧倒的に濃いのです。
使い方としては、「腰まで10秒間浸かる」というのが一般的で、顔に水がかからないように手を頭に乗せて入るよう指導されることもありました。
中には、肩まで浸からせる学校もあったようで、「プールより腰洗い槽の方が嫌だった」という子どももいたほどです。
しかしその一方で、「本当に効果があるのか?」という疑問も生まれていました。実際、山口県薬剤師会では、大腸菌をつけた水着を使用する実験が行われました。
- 腰洗い槽と同じ濃度の塩素水に5分間浸した場合
- 流水(シャワー)で30秒洗い流した場合
この2つを比べると、除菌効果にほとんど差がないことが分かったのです。
しかも、腰洗い槽に30秒ほどしか浸からない通常の使い方では、殺菌効果は不十分であるということも指摘されました。
さらに、濃い塩素水によって皮膚がかぶれるなどのトラブルが報告されることもあり、安全面での配慮が求められるようになりました。
なぜ腰洗い槽はなくなったの?
2001年、厚生労働省が学校プールの衛生基準を改訂した際、マニュアルから「腰洗い槽の設置」の項目が削除されました。
これは、全国の学校にろ過装置付きプールが整備され始めたことが背景にあります。
ろ過装置があれば、プールの水を常に循環・浄化しながら利用できるため、以前のように大量の塩素で一時的に殺菌する必要がなくなったのです。
同時に、シャワーで全身を30秒程度しっかり洗い流すことが、腰洗い槽と同等以上の除菌効果があると科学的にも確認されました。

シャワーから冷たい水ではなく温かいお湯が出る設備が整っている学校もあり、子どもたちは不快な思いをすることなく、安心してシャワーを浴びることができます。
このため、現在ではほとんどの学校が腰洗い槽を廃止しています。
⑯なぜ過去に目洗い蛇口があったのか?

かつて、学校の水泳の授業では「水道で目をしっかり洗いましょう」と指導されるのが当たり前でした。
プールサイドには「目洗い蛇口(洗眼器)」と呼ばれる目を洗うための専用の蛇口が設置されており、子どもたちは痛みをこらえながらも、蛇口に目を近づけて水道水で目を洗っていたのです。
この洗眼の目的は、プールの塩素や細菌、ウイルスを洗い流して目を守ることです。
当時のプールは、今ほど水質管理が徹底されておらず、塩素消毒の濃度もまちまちで、ゴーグルの使用も一般的ではなかったため、目に不快感を覚える子どもも多かったのです。
そのため、結膜炎や「プール熱」と呼ばれる咽頭結膜熱などの感染症予防として、水道水で目を洗うことが良い習慣と考えられてきました。
しかし、現在ではこの「洗眼指導」が大きく見直されています。
洗眼が見直されるきっかけ
2008年、慶應義塾大学の眼科グループが発表した論文が、学校の洗眼指導を大きく揺るがすきっかけとなります。この研究によって、以下のようなことが明らかになりました。
つまり、目を守るためにしていた洗眼が、逆に目を傷つけていた可能性があったということです。
さらに日本眼科医会は、こうした研究を受けて以下のような見解を示しました。
このように、長時間の洗眼は逆効果であること、ゴーグルの着用が目を守る最も効果的な方法であることが明らかになり、学校現場でも洗眼指導が見直されるようになりました。
「目を水で洗うこと」は本当にダメなの?

「目にゴミが入ったら、水で洗いなさい」って言われることがあるけど、これもダメなのかな?

「絶対に水を使ってはいけない」ということではないんだよ。
大切なことは、「目を洗うこと=絶対にしてはいけないこと」ではないということです。つまり、「必要なときだけ、必要な分だけ」という視点です。
- ゴーグルを使わずに長時間泳いだとき
- プールの水が目に入り、「目が痛い」「かゆい」「違和感がある」と子どもが訴えたとき
- 雑菌が多い池や川で泳いだとき
などの場合は、水道水で目を数秒洗い流すことが適切な処置となることがあります。
また、家庭でシャンプーやほこりが目に入ったときなど、異物を除去するための応急措置としての洗眼は有効です。
重要なのは、「必要なときだけ、必要な分だけ」という視点です。
一方で、習慣として無意味に洗い続けたり、プールのたびに何十秒も洗眼させたりすることは、逆に目の健康を損なうリスクがあるということを理解しておく必要があります。
⑰なぜ赤白帽が使われているのか?

「赤白帽(紅白帽)」は、今でこそ体育や運動会で当たり前に使われている学校用品のひとつですが、じつはその歴史には昭和の教育改革や社会背景が色濃く関わっています。
もともと、日本の運動会では「赤白はちまき」が使われていました。
全校児童を赤組と白組に分け、勝ち負けを競い合うスタイルは、戦前からすでに定着していたものでしたが、昭和30年代に入ってから、このはちまきに代わる形で登場したのが「赤白帽」だったのです。
この赤白帽を考案したのは、昭和の人気喜劇俳優で落語家でもあった柳家金語楼(やなぎや きんごろう)さんです。
裏返すだけで赤にも白にもなる便利な帽子は、「これ1つで組分けできて便利!」と全国の学校で広まり、今ではほとんどの小学校・幼稚園で当たり前のように使われています。
赤と白の起源は「源平合戦」

なぜ赤白帽は「赤」と「白」の2色なのでしょうか?実はそこには、日本の歴史が関係しています。
起源は、平安時代末期の「源平合戦」にさかのぼります。
- 源氏…白旗
- 平家…赤旗
それぞれの軍旗として戦い、それが人々の記憶に強く残りました。
これが後に、対立する2つの勢力を“赤”と“白”で表す文化へと発展していったと考えられています。
日本では「紅白」はおめでたい色の組み合わせとしても定着しており、「紅白歌合戦」「紅白まんじゅう」「紅白幕」など、祝祭的な行事に多用されています。
勝負ごと、競技、行事、祝い事などに使える万能な色分けとして、学校現場における運動会にも自然と取り入れられていったのです。
赤白帽の3つの役割
赤白帽は、単に色を分けるだけの帽子ではありません。
教育現場におけるさまざまな場面で、3つの役割を果たしています。
安全面:視認性を高め、事故やトラブルを防ぐ
体育の授業や運動会など、広い運動場で多数の子どもたちが同時に動く場面では、誰がどのチームに属しているのかを瞬時に見分けることが必要になります。
赤白帽であれば、表裏をひっくり返すだけで赤チームと白チームにすぐ切り替えることができ、先生にとっても非常に管理しやすいのが特長です。
帽子の色が違うだけで、誤って違うチームの子どもに声をかけることを防いだり、活動中の接触事故を減らしたりすることができます。
衛生面:紫外線や熱中症から子どもを守る
最近では、赤白帽にもUVカット加工が施されているものや、通気性の良いメッシュ生地のものが登場しています。
屋外活動が増える春~秋にかけて、帽子をかぶることで熱中症や紫外線による皮膚ダメージから頭部を守る効果が期待されます。
ただし、夏場に長時間赤面をかぶることで、逆に熱がこもってしまうリスクが指摘されており、今後は色や素材の見直しも求められています。
教育面:チームで協力する経験を育む
運動会では、赤白帽は単なる道具ではなく“演出”の一部でもあります。
チームで団結し、励まし合いながら競技に挑むという経験を、視覚的にわかりやすく演出してくれるのです。
帽子をくるっと裏返して「赤から白へ」「白から赤へ」と切り替える体験は、役割の変化や立場の違いを実感する機会にもなります。
「今度はこっちのチームとしてがんばろう」という切り替えの力や、多角的な視点の育成にもつながります。
赤白帽の課題と期待される進化
近年、赤白帽にはいくつかの課題も浮かび上がっています。
それは「赤は熱を吸収しやすく、熱中症のリスクが高い」という研究結果です。
武蔵野美術大学の調査では、「赤の方が白より熱を吸収し、表面温度が10度も高くなる」という衝撃のデータが示されています。
小学校の体育の授業などでおなじみの赤白帽は、赤の方が白より熱を吸収し、表面温度が10度も高くなる――。武蔵野美術大の北徹朗教授(健康科学)の研究室が、こうした実験結果を明らかにした。体育の授業中の熱中症が増えるなか、北教授は「リスクを避けるためにも、学校現場は対策をとってほしい」と呼び掛ける。(後略)
また、赤白帽が“便利さ”のあまり形を変えず長年使われ続けていることも、課題といえるかもしれません。
子どもの体力や気象状況が変化してきた現代では、「もっと涼しくて軽い素材」「風通しのよい形状」「デザイン性と機能性を両立した新型帽子」など、アップデートが必要な時期に来ているといえるでしょう。
⑱なぜ黄色い帽子が使われているのか?

いまや多くの小学校で当たり前のように使われている「黄色い帽子」は、どこか可愛らしく、地域の人々の目を引きます。
しかしこの黄色い帽子は、ただの登校アイテムではありません。
実は、命を守るために生まれた、とても大切な「交通安全のシンボル」なのです。
黄色い帽子の誕生秘話
昭和30年代、高度経済成長期に突入した日本では、自家用車の普及が一気に進み、交通事故が社会問題として深刻化していきました。
特に子どもや高齢者が事故の犠牲になるケースが多く、「交通戦争」と呼ばれるほどの非常事態だったのです。
こうした中、和歌山県警察の交通課係長だった坂下敏郎さんが「子どもの命は、大人が守らなければならない」という強い想いを持ち、自ら行動を起こしました。
ある日、坂下さんがたまたま観ていた西部劇の映画。その中で、遠くからでもよく目立つオレンジ色のカウボーイハットを見たとき、「子どもたちに、遠くからでもよく見える目立つ帽子をかぶせたら、事故が減るのではないか?」とひらめいたのです。
この直感をもとに、坂下さんは毎日300メートル離れた場所から、さまざまな色の帽子をかぶった子どもたちを観察するという地道な実験を始めます。
雨の日、曇りの日、夕方、朝方など、あらゆる条件下で実験を繰り返し、延べ1万人以上の子どもたちの協力を得て出た結論が、「黄色が最も視認性が高い」というものでした。
体の小さな子どもたちは、ドライバーから見ると非常に視界に入りにくく、死角に隠れてしまうことも少なくありません。
だからこそ、最も高い位置にある“頭”に、最も目立つ“黄色”を置くことで、遠くからでもすぐに気づけるようにしたのです。
黄色い帽子の全国的な広がり
1960年(昭和35年)、坂下さんの勤務する和歌山西警察署では、管内のすべての小学生や園児に黄色い帽子を着用するよう呼びかけました。
この運動は、ちょうど前の年に流行したヒット曲『黄色いさくらんぼ』の影響もあって、全国紙にも取り上げられ、大きな注目を集めます。
やがてその取り組みは日本全国の教育現場に広がり、小学校の入学準備といえば「黄色い帽子とランドセル」が定番となっていったのです。
そして実際に、黄色い帽子の導入後、子どもの交通事故による死亡件数は徐々に減少していきました。
こうした功績が認められ、坂下さんは内閣総理大臣表彰という異例の栄誉を受けることになります。
現職の警察官がこの表彰を受けたのは、極めて異例のことだったといわれています。
⑲なぜ黄色いワッペンを付けるのか?

新1年生には、交通安全のしるしとして「黄色いワッペン」を配布することがあります。
この黄色いワッペンは、子どもたちが登下校のときに車や大人の目にとまりやすくするために、目立つ黄色い布に安全の願いが込められたものです。
この取り組みは、昭和40年に当時の富士銀行(現 株式会社みずほフィナンシャルグループ)が交通安全事業として始めました。
黄色いワッペンが配布されるようになったきっかけ
きっかけは、交通事故で子どもを亡くしたお母さんが、「子どもたちを守ってください」という思いを込めた手紙を総理大臣に送ったという新聞記事でした。
その記事を読んだ銀行の社員が、「小さな子どもたちの命を守るためには、まわりの人に気づいてもらえるような目立つ目印が必要だ」と考え、黄色いワッペンをつけてもらう取り組みが始まったのです。
はじめは「黄色い腕章」として配られていましたが、昭和49年から現在のワッペン型になりました。
今では、複数の企業が協力して毎年全国の小学1年生に配っています。
⑳なぜ教室の天井は高いのか?

教室の天井を見ると、比較的高くなっています。
実はこの“天井の高さ”にも、子どもたちが安心して、快適に、集中して学べるようにという願いがしっかり込められているのです。
昔から大切にされてきた天井の高さの基準
教室の天井の高さについては、明治時代からすでに基準が定められていました。
明治15年(1882年)には、当時の文部省が出した基本方針の中で「教室の天井の高さは一丈(約3メートル)を下回ってはならない」と示されていました。
その後も、「10尺(約3メートル)以上」「9尺(約2.7メートル)以上」など、細かな変更はありましたが、3メートル前後の天井高が“理想”とされてきた歴史があるのです。
法律で定められている教室の天井の高さ
現在の基準は、昭和25年に制定された「建築基準法」の中に明記されています。
通常の建物の居室の天井の高さは「2.1メートル以上」とされていますが、学校の教室だけは別格です。
床面積が50㎡(約30畳)を超える小学校・中学校・高校の教室については、「天井の高さは3メートル以上」と定められているのです。
その理由は2つあります。
空気がこもらないようにするため
教室の中で大人数の子どもたちが何時間も授業を受けたり、発言したり、給食を食べたりします。
もし教室が狭く、天井が低いと、人が出す二酸化炭素や熱、湿気がこもってしまい、空気がよどみやすくなります。
それを防ぐために天井を高くして、空気の循環がしやすい広い空間にしているのです。
視覚的に「開放感」があるから
教室の天井が高いと、空間にゆとりが生まれ、圧迫感を感じにくくなります。
この「開放感」は、子どもたちに安心感や心の余裕をもたらし、リラックスして過ごしやすい環境づくりにつながります。
その結果、集中力が高まりやすくなると考えられているのです。
㉑なぜ天井に変な模様がついているのか?

学校だけでなく、病院、公共施設で見かけるこの天井の模様。
よく見ると、波のような線や虫食いのような点がランダムに広がっていることに気づきます。
子どもたちに天井の模様について質問すると、「見た目が気持ち悪い!」「傷がついてる」「もっとキレイな模様にすればいいのに…」と答えが返ってくることがあります。
しかし、この模様はただのデザインではなく、しっかりと意味があるのです。
正体は「トラバーチン模様」だった
専門的には「トラバーチン模様」と呼ばれています。
「トラバーチン」とは、もともと大理石の一種で、古代ローマ時代から建築の材料として使われてきた天然石の名前です。
この石には、縞のような模様や小さな穴のような凹凸があるのが特徴で、それを模して作られたのが、私たちがよく目にする天井材のデザインなのです。
つまり、天井に広がる「波のような線」や「虫食いのような点々模様」は、ただのデザインではなく、トラバーチン石の質感をオマージュして取り入れたものなのです。
なぜ学校の教室でよく使われているのか?
このトラバーチン模様を採用した天井材が、学校をはじめ、病院や公共施設などでよく使われているのには2つの理由があります。
吸音効果があるから
よく見ると、トラバーチン模様の中には小さな穴がたくさん開いているのがわかります。
実はこの穴、ただの飾りではなく、音の反響を抑えるための機能的な工夫でもあるのです。
表面に開いた無数の小さな穴によって、天井全体の表面積を広げ、音を吸収しやすくしています。
たくさんの子どもたちが話したり移動したりする教室では、どうしても音が響きやすくなりますが、この吸音効果によって、声が聞き取りやすくなり、集中しやすい環境をつくる手助けをしてくれています。
ビスやネジが目立ちにくいから
天井材は、取り付けの際にビス(ネジ)でとめられますが、模様が一面に広がっていることで、ビスの跡が目立ちにくくなるというメリットがあります。
つまり、見た目の美しさを保つ役割も担っているのです。
一見バラバラに見えるような模様も、実は目立ってほしくない部分を目立たせないための工夫が詰まっています。
㉒なぜ校長先生が最初に給食を食べるのか?
実は学校で一番早く給食を食べているのは、校長先生なのです。
校長先生が4時間目の授業時間中に給食を食べていると、それを発見した子どもたちから「校長先生だけズルい!」「お腹が空いて我慢できなかったんだよ」と言われることもあります。
実際は、「早く食べていい」ではなく、「先に食べて、異常がないかを確かめる」という“責任ある役割”を担っているのです。
「検食」とは、子どもたちが給食を食べる前に、異常がないかを確認する大切な作業のことです。まさに、検査をする食事=検食です。
この「検食」は、法律(学校給食法)に定められた義務であり、すべて記録を残す必要があります。
学校給食衛生管理基準 第3 調理の過程等における衛生管理に係る衛生管理基準 (6)検食及び保存食等
①検食
一 検食は、学校給食調理場及び共同調理場の受配校において、あらかじめ責任者を定めて児童生徒の摂食開始時間の30分前までに行うこと。また、異常があった場合には、給食を中止するとともに、共同調理場の受配校においては、速やかに共同調理場に連絡すること。
二 検食に当たっては、食品の中に人体に有害と思われる異物の混入がないか、調理過程において加熱及び冷却処理が適切に行われているか、食品の異味、異臭その他の異常がないか、一食分としてそれぞれの食品の量が適当か、味付け、香り、色彩並びに形態等が適切か、及び、児童生徒の嗜好との関連はどのように配慮されているか確認すること。
三 検食を行った時間、検食者の意見等検食の結果を記録すること。
学校では、子どもたちが給食を食べる30分前までに、校長先生などの責任者(校長先生が出張などで不在の場合は教頭先生)が、給食の中身を一つひとつ丁寧に確認します。

校長先生や教頭先生が不在のときには、その代理として私が検食を担当したことがあります。
まず、調理室から校長室まで運ぶ途中で異物が混入しないように、ラップがかけられた状態の検食用の給食を受け取ります。
その後、色・におい・味はもちろん、加熱が不十分でないか、異物が入っていないか、見た目や分量が適切か、アレルギー対応食に誤りがないかなど、さまざまな観点から細かくチェックします。
すべての確認が終わると、「検食簿」に検査結果を記録し、意見を記入したうえで署名・押印します。
子どもたちの「安全と健康」を守る仕組み
検食は、ただ「おいしいかどうか」を見ているだけではありません。
給食を通して事故や健康被害を未然に防ぐ、命を守るための確認作業です。
万が一、食材に異臭や異常が見つかれば、すぐに給食は中止します。
また、給食センターなど共同調理場から運ばれてきた場合には、他の学校にもすぐに連絡が入り、配膳が止められるような体制が整えられています。
こうした丁寧な確認と対応があるからこそ、子どもたちは毎日、安心して給食を食べることができるのです。
まとめ
今回は知っておくと役に立つ学校の雑学22選を丸ごと全部紹介しました。
- 学校にある当たり前の風景には、実は 安全・教育・歴史 という大切な意味が隠されていること
- 子どもたちの素朴な疑問 にしっかり答えられると、信頼される存在になれること
- 学校ネタを知っておくことで、 雑談や指導に使える引き出しが増えること
この記事を読んだことで、子どもたちとのちょっとした会話や、保護者からの「どうしてこうなってるの?」という質問にも、自信を持って答えられるようになったのではないでしょうか。
学校の雑学は、授業の導入や学級活動、保護者会での話題など、あらゆる場面で“話のタネ”になります。
しかも、子どもたちの学びや興味を広げる効果も抜群です。
ぜひ、今回の記事をもとに、子どもたちの問いに寄り添い、学校という場所の魅力や工夫を楽しく伝えていきましょう。